始まりの始まり。
2015年7月22日、生駒の生駒聖天・宝山寺にインド大使館の女性大使と息子さんがお忍びでお詣りの来られた。
日本での赴任期間は二年。
あと半年で日本を去るので、その前に日本でガネーシャがまつられている希有な宝山寺に詣でたかった、という。
貫主の大矢実圓(おおやじつえん)大僧正から電話があり、
「星山さん、ちょっとあと1時間30分ぐらいでインド大使が急にくるっていうんで通訳これへんか?
和歌山で公用で来て、帰りに私用でお詣りしたいから、とタクシーでくると大使館から連絡があった。
あと1時間できてや!!!!!!!
うちは誰も英語が話せん!」
と。
この日たまたま休みで、たまたま家にいたので、「ええええええ!!」と言いながら「行きます行きます」
大使の通訳なんて、なんちゃって英会話の私には荷が重い、とこれまた、たまたま会社が休みで家にいた次女に通訳を任せようと同伴して宝山寺に出向いた。
次女ほぼすっぴん。悲惨な顔やった。www
待つこと1時間。
在日本インド大使は大変素敵な女性だった。
遊びで日本にきている長男さんと一緒にきた。
息子さん(30歳)はNY在住だ。
イケメン。。。
宝山寺を案内したが、なんたって仏教用語が難しすぎて「言葉が難しいので私の単語能力がおいついていかれません。だいたいで、申し訳ありません」を連発。
次女は大僧正の日本語さえわからない始末。
例えば「大般若教(だいはんにゃきょう)ってなに??」
無理もない。
一通り案内を一緒にまわり、そして貫主自らが大使のために大般若教を拝殿で行うことになり、大変光栄な席に同席させてもらうという、超ラッキーななんちゃって通訳な私たちでした。
いやしかし、貫主の大般若教は初めて拝聴させていただいたが、本当に迫力があり、娘と二人「鳥肌!!!」と感動した次第で。
そこからお茶会だったのだが、私は大使、貫主、貫主奥様、三人の信徒さんとお話の通訳に入り、
次女は息子さんと世間話で大盛り上がり。←二人ともお寺の話より海外生活の話で早口でずっとしゃべっている。
息子さん、お母様の公務で貝のように口とつぐんでしゅくしゅくと同行していたところ、超軽いノリの次女(面白い奴なんです)が気楽に
「ねえねえNYのタイムズスクエアのカウントダウンどんな?」
とか話すので、気楽になってぶわ~と世間話が始まったようだ。
「今度NYに来たら案内するわ」ぐらいまでノリ。
大使のご子息に、めっちゃため口でここまでお気軽に話すやつは日本におらんやろ。
初対面で。
大使は日本にくるまでいろいろな国の大使を歴任し、二人の息子さんは高校ぐらいまで赴任地に同行して生活していたそうだ。
ご主人は、同じく大使で、この時はイタリアに赴任中だった。
大使は
「今回の日本大使で私は大使生活を終え、主人の赴任地に行き一緒に生活します。
二年したらインドに戻りますので、是非いらしてください」
と貫主と奥様におっしゃっていた。
ご夫妻は「是非!」
となり
「星山さんも一緒に行こう!」
というので、
「行きましょう!行きましょう!」
とノリで答えていた。
インド行ったことなくて、インドってなんとなくお気楽にいけない所のような気がしていて、いや貫主夫妻が本当にいくんだったらついてこ~~
と思ったわけで。
貫主夫妻とはもう20年の付き合いなのだ。
でも現実的に高位な貫主が簡単に日本をあけられるとも思えなかったので(日本のTOPクラス、超多忙)実現するとは思っていなかったけれど。
まさか、この半年後に政府招待で行くことになるとは誰が思っただろう。
大使だって思ってなかったわ。ww
大使が私に職業を尋ねられたので「ギャラリストです。通訳ではないので英語が稚拙で申し訳ないです」と答えた。
この時、私はハイアットリージェンシー大阪で10年、レクサス泉北で10年ギャラリープロデュースをしていた時だった。
すると大使が私に名刺をくれ、とおっしゃる。
あいにくもっていなかったので、たまたま、次女が自分の会社の名刺をもっていたのでお渡した。
私はあとで名刺大使館に送ります。と。
大使は私と次女に大変厚意的で
「東京に来たら是非大使館に遊びに来てね」
という。
「はい!是非!」
と答えたがこれを真に受けていいのか、と疑問だった。
社交辞令でしょ、どう考えても。ww
そして2時間の滞在でお二人はハイヤーに乗って帰られた。
そのあと、貫主ご夫妻に食事に呼ばれて私たちも帰宅した。
いや、貴重な体験させてもらったわ~
楽しかった~
素敵~~
きゃあ~
とか次女と大盛り上がり。
で、おしまい。
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ではなかった。
つづく