メラ3日目
2月3日(水曜日)
朝9時集合だった。
が、
昨日朝9時集合で10時半まで待たされたから今日は10時集合でええやないか、ということで10時集合に変更。
これはめちゃくちゃ楽だ。
というのも、昨日ステージにあがったことやメディアの取材が毎日来るので、刃士の大塚さん、前野先生、山田先生と話をしていて誰か一人は和装をしよう、ということになった。
大塚さんが作務衣を別に持っているというので、和装を持参していないイラストレーターの橋本さんにも着てもらおう、ということになった。
着物の類を着て会場に一日座っているのは大変な労力だ。
まずトイレにほぼいけない。
床に着物の裾をつけたくないのが簡単にご理解いただけるであろうな事情。
姿勢を保たなければいけない、そして着物が痛む。。
でも
今年の30周年記念のフォーカスカントリー(注目国)に選ばれたからには、「JAPAN」をきちんとPRしなければいけない。
太鼓チームの鼓遊さんの後藤さん(IT会社の社長、青年実業家)と、もえちゃん(今メラの一番人気パフォーマー)や大凧の遠藤さんご夫妻がものすごく頑張ってPRしているので、私達作家チームも「JAPAN」を盛り上げたいからだ。
着物の着付けには1時間ぐらいほしいところなので集合時間が遅れるのはありがたい。
10時に集合。
するとほどなくして立派な(日本では普通普通・w)のバスが玄関前の車寄せに着く。
なんでもフォーカスカントリーに選ばれたんだからバスをいいやつにしようという配慮だそうだ。
しかも会場に着くと、私達のブースがきちんとカーテンで囲まれている。
これも初日終わりに
「なんとか囲ってもらえれば荷物をある程度おいていかれるのになあ!」
と案じていたのですごい助かる。
前野先生の作品が高価で、20kgある荷物を、山田さん、私などで分割してホテルまで運んでいたからだ。
バス停車場までかなり歩くんできつかった~。
これもそれも
奔走してくれているYUKAさん、そして太鼓「鼓遊」さん、大凧・遠藤さん夫妻に感謝。(ww)
このクラフトメラは完全に東京ドーム何個か分の巨大なフリーマーケットで、私が連れてきた作家さんたちは高尚すぎて合わない。
が、逆に、この高尚さが、初登場でフォーカスカントリーに選ばれて注目を浴びるにはいい素材だったようで、メディアの取材はひっきりなしだ。
山田先生の写真一緒に撮ってください人気がすごすぎて
完全にJAPANの看板の前の写真撮影用パフォーマーになっていて
「撮影一回につき2ルピー(4円)取ろう!!」
と、花よりだんごに危うくなりかけたり。
絶対に儲かるやん。爆
すぐ近くのステージにつながる道には、インド各州のダンサーやパフォーマーたちがこのように練り歩いている。
彼らはストリートパフォーマーではなくステージにあがる人たちだ。
遠藤さんの動画でどうぞ
https://www.facebook.com/100011344005997/videos/146210729100393
みんながお昼にいっている間、留守番だけの私が、なぜか私がマイクもって作家の代わりにインタビューに答えていたり。
以下山田先生撮影
言っておくが、私の英語力は日常英会話程度なのだ。
インタビューとか~~ やばいです
ちなみに私の英語力は会話であって、そんなにぺらぺらな訳ではないが、メディアの人達の英語も似たり寄ったりなので私で十分と向こうが言うので。(w)
でも必ず聞かれるのが、
1・メラはどうだ?
2・インドはどうだ?
だ。
だから同じ事答えている。
1・メラは全く知らなくてここにきて、色んなことがわかって日々驚いている。
大変エキサイティングで楽しい。
これはインタビューとしてメディアに採用されたコメントだ。
2・インド人はホリが深くて美男美女ばかりだ。
日本人は、英語の発音もそうだけれど、顔もフラットだ。
これはインタビューとして不採用されたコメントだ。
インタビュアーには受けたんだけどな。ww
交代で昼食にいくので、この日はみんなを待って遅くなり、濱渦先生と午後3時と昼食タイム終了時間最後にいった。
私のすぐ後ろに金髪の女性がいて、顔は日本人そのものだ。
「東大阪あたりを普通に歩いてそう」
と私は非常に親近感を覚えた。
振り向いて
「ハロー」
というと
「ハロー」
と超笑顔で。
でもそれだけだった。
そこで英語が止まった。
彼女は全く英語が話せなかった。
なので、名札を見て
「あ==! キルギスタンの人! 私たちJAPAN JAPAN」
といい、名札を見せる。
めちゃくちゃ笑顔で、以降彼女は会う度に私にハグをしてくる人となった。
実は、この方、あとでFACE BOOK見たら
Mahabat Samanchievaさん、国を代表する民族服デザイナーで、国から派遣されてきていたようだ。
娘さんもモデルだ。
Mahabat Samanchieva | Facebook
この時は全然わからず、東大阪のおばちゃん、とんひっそりと呼んでいた私だった。
レストランの出口で一緒のホテルに宿泊している、スリランカの代表団マネージャーの若くて美人の女性と会う。
彼女は英語がぺらぺらで、オーストラリアに留学して帰国して文化庁に入局した25歳の女性だった。
美人なのでホテルでも目立っていた。
Heshani Sathiesh Bogollagamaさん
翌年に結婚されたよう
Heshani Sathiesh Bogollagama | Facebook
ヘシと、いろいろな話をして30分立ち話してわかれる。
スリランカの方々やインドの職員が、彼女は今回のスリランカチームの一番のお偉いさん、といい、「マダム」と呼んでいた。
なんて格好いいんだ!!
そう呼ばれてみたい。
ち。
手があいたので← 私は作家ではないので、手はあけようと思えばなんぼでもあく。笑
私のパスは
Interenational JAPAN Officer
なのでバックステージでも普通に入れる。
っていうか、一応紐は張ってあったが、誰でも入れる。w
今日は太鼓チームもステージがないというので、5時撤収にしようと決めた。
実は体調が思わしくなかった私であった。
担当事務官が
「え~、日本人気だからもっとやってよ」
と言ってくれたけれど、朝10時から夜8時までのイベントを15日間続けるにはヤワすぎる私たちであった。
作家ってひ弱よ。
続く