荘厳という言葉がふさわしい教会 サンタ・マリア・デ・ベレン教会
大航海時代にふんだんな富で作り上げた修道院は、修道院の持つイメージ質素さとは逆の堂々たるものだった。
この修道院には、あのエッグタルト「パステイス・デ・ナタ」を最初に作った場所で、昔通りのレシピを守ったショップもあるそうだ。
はてさて修道院の出口を出て、すぐ左手、また別な入り口から入ると、そこは付属のサンタ・マリア教会がある。
なんかするすると出口から入り口に入っていった。
こちらはチケットも不要(無料)で自由に見学できるのでオンシーズンでもならぶことはない。
中に足を踏み入れると、思わず「おお。。」言葉が漏れる。
入り口から。
中に入るとその空間に圧倒される。
荘厳な、という言葉で端的に表現できる教会だ。
案外ジェロニモス修道院よりコンパクトに見どころがあるとも感じた。
正面の祭壇や柱の迫力に圧倒される。
絵画のように美しく堂々とした サンタ・マリア・デ・ベレン教会。
ここも当然マヌエル1世のマヌエル建築様式だが、このチャペルは、後の女王カテリーナが、王マヌエル、妻マリア、息子ジョアン3世棺を納める場所として、建築家ヘロニモモナスト・デ・ルーアンに1572年に作らせたものだ。
だから棺が置いてある。
王族の石の棺は象が支えている形だ。
王族だけが象に支えられる。
パイプオルガン。
ヴァスコ・ダ・ガマとルイス・デ・カモンイスの棺
教会を入って左手にはヴァスコ・ダ・ガマ、右手には詩人ルイス・デ・カモンイスの棺が安置されている。
これはルイス・デ・カモンイスの棺
棺に彼の詩が印字されておいる。
こちらがヴァスコ・ダ・ガマの棺。
ともに棺を支えているのはライオンだ。
棺の中央には帆船が彫刻されていて、他にもロープ、球体、など海辺のモチーフが取り囲む。
でもこの棺、ガマが亡くなって400年後に作られたものだけれども。
ちなみになぜこの二人の棺がこの教会に王族の棺とあるかというと、この二人がポルトガル黄金期に欠かせない存在だからで、歴史的重要人物だから王族と同じ場所に安置されている。
バスコ・ダ・ガマは(1460-1524)は、1498年にインドへの海路を開設し富をもたらしたことは日本でも教科書で知る有名人。
一方、ルイス・デ・カモンイスはなじみのない名だが、ポルトガル最高の詩人とみなされている。
彼が発見時代を抒情詩で記録した 「ウズ・ルジアダス(Os Lusiadas)」は大航海時代におけるポルトガルの海外進出と栄光を雄大な作風で描いていて、この大航海黄金期を文字で後世に残した人物だからだ。
ユーラシア大陸最西端のロカ岬の碑文に刻まれた「ここに地終わり海始まる(Onde a terra acaba e o mar começa)」という言葉は、この作品の第3詩20節から取られている。
修復工事が行われていた。
今回の旅で見たイエス像はどれもリアルだ。
生々しい磔の像が多く、浮かれ気分が飛ぶ。
ステンドグラスは世界中の教会には欠かせない。
なぜなら教会に集う多くの教徒のほとんどが文字を読めなかったため、聖書の話をステンドグラスの絵柄で表しているからだ。
二階へ上って撮影。
出口へ向かう通路には大きなパネル群が並べられていた。
ポルトガルの歴史家、小説家。ベルメの最初の市長、 アレクサンドル・ヘルクラノ 。(1810-77)、彼の人生と業績が展示されている。
見ごたえがあって良かった。
外に出て振り返る。
修道院の入り口出口、サンタマリア教会の入り口 と出口が一緒の場所にある
公園を横切り発見者のモニュメントへ歩いて行こう
公園の先に見える四角い煙突のような影が「発見のモニュメント」
修道院の前の車道をまっすぐに突っ切って、奥に見える「発見者のモニュメント」へ向かう。
振り返るとジェロニモス修道院が。
真冬の2月だが、気温はすでに20度以上はあるような暖かさ、いや、暑さだった。
「海の匂いがするね」と言いながらだんだんに「発見のモニュメント」に近づいていく。
距離が近づくにつれその大きさに驚く。
おお!!