救いの神、YUKAさん登場
ホテルに戻るとYUKAさんという日本人通訳の女性がカルカッタから到着していた。
長谷川さんの40年来の知り合いの方でカルカッタ在住だ。
最初、長谷川さんから
「僕行けないから星山さんチームの責任者になって」
と言われて
「三人だけでも手一杯です。存じ上げない方もたくさんで一人では無理です。」
と固辞していた。
長谷川さんにさえあったことないのに、全く知らない方々の責任者は荷が重すぎる。
長谷川さんのインドのノリに巻き込まれずに固辞。
そこで長谷川さんが自腹でYUKAさんに1日~16日までの通訳をお願いしたのだ。(ここ長谷川さんめっちゃ偉い。インドに個人的に多大に貢献しているというのはそこか)
彼女はヒンデュー語が話せるしインドを理解しているから大変大変助かる。
私を見て
「星山さんですね?昨日着かれて放っておかれたようですね。大変。食事とかされました?」
と案じてくれた。
早速YUKAさんにブースの報告。
でも「あらあ~」でおしまいで、私たちにはどうすることもできないのだ。
そしてYUKAさんとおしゃべりして日本チームを待つことに。
東京、新潟、大阪からの到着便のすりあわせが難しく、東京・羽田から来た前野先生を含む第一陣が到着。
大阪はあとからだ。
新潟の白根町からいらした凧マイスター遠藤夫妻(ありえんくらいいいご夫妻。働き者。尊敬でしかない)、東京稲城市の和太鼓チームの精鋭の方々、前野先生は午後10時にホテルに到着した。
大阪の濱渦先生、山田さんが飛行機の遅延により午前1時に到着。
空港で大阪チームを待っていてくださった段ボール作家さんの女性と合計10名が到着。
総勢30名らしく、あとからどんどん追加で人が来るそうだ。
とりあえず、初陣10名、1月31日午前1時にレストランに集合して自己紹介など、挨拶をする。
私は会場がどうなるかいきりたって大阪組作家にわあわあ言っていたら、和太鼓チームの一人(社会人の方)が
「そんなもんでしょ」
と素っ気なく言われる。
え??
和太鼓チームのみなさんは学生だったり社会人だったりでイベントを中心にされている。
そんなものなのか?
いやいや全然そんなもんじゃない。
たいていは気難しい作家さんの相手をしている私には到底「そんなもの」ではすまされない問題なのだが。
ハイアットリージェンシー大阪という一流ホテルのロビーギャラリーで、レクサス泉北ショールームギャラリーで、展覧会を主宰していた私には、とうていありえないことだった。
海外のアートフェアで、確かに上海では会場が設営がオープニングの日まで遅れたり、台北では壁から絵画が落ちたり、ソウルではパンフが間に合わなかっりしてきたが、それ以前の「展示ができる環境か」問題だったのだが。
ホテルではコードの配線一本でもはみ出ていたら注意されるし、画風にも事前チェックを受け、イーゼルの色や雰囲気にも気を遣い、作家さんのリクエストをどのように折り合わせていくかを10年間してきた私にとって、あの土俵の洗礼は失神ものだったのだ。
この時、段ボール作家さんから参加した経緯を聞いて「・・・・」
長谷川さん、声かけの範囲がかなり広域で、最初聞いた
「日本を代表する工芸家」
ではなく、日本人で、何かスキルを持っていればOK感覚だったと知ったとき一気に脱力したものだ。
ぶっちゃけ、日本人であれば、日本なのだ。
注・それが長谷川さんのインドイベントの対峙の仕方でそれは正解であった。
日本的な「きちんと」である必要がないのだ。
注・勉強になった。
注・そして結構これは杞憂だったわけで、実際始まったら、世界中に招待を受けて行ってらっしゃる新潟・白根の大凧マイスターの遠藤さんご夫妻、イベントで注目度ナンバー1だった太鼓チーム、あとから来られた刀士の大塚さんなどは日本を代表するに値するパフォーマーだと認識する。
注・でもこの時はそれが悟れていなくて憤ってテンパっていました。
だって
インドだからなんだっていい
のか。
はあ~~~~!!
工芸的な有名な作家さんにお願いして走り回っていた私は脱力しかないわけで。
私が間違っていたのだ、認識を。
なんだっていいのか~~~~。。。
しかし、「日本チーム」とて接待を受けているからには、やはりいい物をここで披露しなければならない。
だってワードワー大使から頼まれたのだもの。
私はこの時から
「私が連れてきた作家さんはきちんと日本チームの看板を担っていただく、全力でフォローする」
と決めた。
だから壁や床も譲らない。
絶対に譲らない。
私は戦う~~!!
テンパってます。
悟れてなくて。wwwww
つづく